くノ一
2011/04/20

女忍は、主に力一辺倒では太刀打ちできない相手に対して下女などと偽って送り込まれ、機密情報の収集や暗殺などを請け負いました。 籠絡する相手に真剣に惚れ込んだり、裏切ったりするなどの危険が付きまとっていたため、それを防ぐために連絡役兼監視役の忍者が 常に行動を監視し、裏切りの気配を見せたときには容赦無く殺害していたとも言われます。 全身黒ずくめの忍者装束を着た、いわゆる「女の忍者」として、男の忍者と同じような任務に就くことはほとんどなかったらしいです。 そもそも、「全身黒ずくめの忍者装束を着た忍者」というイメージそれ自体が、後世の創作や伝承によるものであり、史実性は疑わしい ようです。実際には、諜報活動、潜入活動と言っても色々な形態があり、ひとくくりにできるものではありません。 ただ、女性がその任務に就く以上は、当然ながら女性ならではの立場・特質・特技を活かした活動になった事でしょう。 そもそも戦国時代において、男性は土地に縛られますが、女性は自由にどこにでも行けました。ルイス・フロイスの文献に、 ほぼすべてにおいて自由もともと諜報活動に向いている性でもあります。遊女や傀儡子、白拍子等の女性の遍歴者は、 合戦時の神事として帷幕の中にまで呼ばれることが多かったようです。
くノ一の歴史
史実に登場するくノ一で有名なのは、武田信玄に仕えた歩き巫女の集団であり、その頭領である望月千代女でしょう。 歩き巫女とは各地を回って芸や舞を見せ、時には男性に身を任せることもありました。戦国時代には孤児や捨て子、 迷子が大量に発生しました。その中から心身ともに優れた美少女のみを集めて歩き巫女に仕立て、隠密として各地に放ったのがくノ一です。 信玄がくノ一の養成を命じたのは信州佐久郡の豪族望月氏当主・望月盛時の若き未亡人・望月千代女です。 実は千代は甲賀流忍術の流れを汲む名家・望月家の血族で、豪族望月氏には信玄の甥が入り婿になっていました。 信玄は彼女を「甲斐信濃二国巫女頭領」に任じ、信州小県郡禰津村の古御館に「甲斐信濃巫女道」の修練道場を開き、 200~300人を超える少女達に呪術、祈祷から忍術、護身術、更に相手が男性だった時の為に性技まで教え込みました。 歩き巫女はののうと呼ばれ、禰津村には巫女の家が並んだののう小路や墓が残ります。 歩き巫女に国境は無く、全国何処でも自由に行けたため、関東から畿内を回って口寄せや舞を披露し、時には売春もしながら情報を収集し、 ツナギの者を通じて信玄に逐一報告しました。反面、信玄は家臣の謀反を恐れて、彼らの自宅に僧、巫女を泊めるのを禁じました。 実在した人物かどうか不明ではあるが、安土桃山時代の武将、徳川家康が政敵の石田三成に側室として送り込んだ初芽局という人物がいます。
